2020年山东自考日本文学选读章节知识点七
9.紀貫之と「土佐日記」
「土佐日記」は930年ごろに、作者が土佐の守として、赴任する時から、935年都へ帰る時まで書いた紀行文である。主な内容は、任地に永眠した娘への追慕や帰途の険難や海賊襲来への憂慮、帰京への喜びなどである。作者は女性の名に仮託して、仮名文字で書いた日本の最初の日記である。
「土佐日記」は新しい日記文学の形態を創り出し、後の女流日記文学隆盛に深い影響を及ぼした。
男もすなす日記といふものを、女もしてみんとてするなり。――「土佐日記」冒頭
10.「蜻蛉日記」
974年に、藤原道綱の母の手によって書かれた作品であり、女性が書いた最初の仮名日記である。上、中、下の3巻から成っている。作者は結婚後、幸福ではなく、苦悶に満ちていた。それで、日記の内容には、こうした苦悶、悩みなどの気持ちが書かれていた。自照性の女流日記の先駆として、後世の文学にも大きい影響を与えた。
また、心理をつぶさに描写し、精緻な芸術的香気の高い筆致は「原始物語」にも深い影響を与えた。
かくありし時過ぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世にふる人ありけり。――「蜻蛉日記」冒頭
11.「和泉式部日記」
1007年に、和泉式部が書いたものである。作品は主に作者が帥宮敦道親王との恋をめぐって、書き綴った物語風の日記である。
夢よりもはかなき世の中を嘆きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十余日にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく。――「和泉式部日記」冒頭
12.「紫式部日記」 1010年に、紫式部が書いたものである。日記の中に、清少納言への批判はよほど猛烈である。
清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいとたべむこと大かり。 ――「紫式部日記」13.「更級日記」
1060年、菅原孝標の娘の手によって書かれた自伝的日記である。物語の世界にあこがれた少女時代から、親しい人々との死別、結婚生活、晩年生活などが生き生きと描かれていた。13歳から52歳までの長い間にわたっている。作品には、作者のロマン的で、繊細な感情が表れている。
14.清少納言と「枕草子」
「枕草子」は日本最初の随筆の代表作であり、作者は清原元輔の娘である。彼女は紫式部と同時代の人として、一条天皇の中宮定子に仕えていた近侍である。女性ながらも男性と同じように、同時の男性の必須の教養である漢詩文によく通じていた。
「枕草子」は1001年に、書き上げられたと言われている。主な内容としては、作者が中宮定子に仕えていた時、宮廷生活を通じて、自ら体験した自然や人事に関する出来事を自由な筆致で記録しており、作者の自然に対する鋭い感性、人物批判、自然風景に対する描写、美に対する追求などが至る所に見ることができる。しかし、特に目を向けたところは、やはり宮廷貴族の遊園生活への賛美や中宮定子に対する褒賞であり、また、自らに対する誇示でもあった。したがって、清少納言の文学思想は、徹底的な貴族主義であり、貴族社会に対する無条件的擁護である。日本文学者はいつも清少納言を自然美の愛好者で、美の世界の礼賛者であると称えているが、彼女の美観は貴族階級の美であり、決して人民大衆の美ではなかった。
内容から次の三種類に分けられている。
(1)類聚的章段 「ものづくし」と呼ばれる段で、作者の鋭い感性のままに、同種のものを列挙し、感性を述べたものである。「山は」などのような「-は」型のものと「うつくしきもの」などのような「-もの」型の二種類がある。
(2)日記の章段 豪華な宮廷生活への回想であり、日記回想章段とも言う。
(3)随想の章段 これは随筆らしい章段で、「春はあけぼの」のように、自然や人事についての感想を自由に書いたのである「枕草子」は古来から文学界に重視されており、「源氏物語」とともに、古典文学双璧だと称されている。作者の客観性や知性がよりはっきり発揮され、「源氏物語」の「もののあわれ」に対して、「をかし」の世界を形成した。簡潔で独創的な鋭い文体は批判的であり、時には哲学的でさえある。
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ。蛍の多くとびちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は夕暮れ。「略」冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きも。――「枕草子」第一段
15.「日本霊異記」
平安時代初期、882年に、景戒の手によって編集されたということである。三巻よりなっている日本最初の仏教説話集であり、因果応報の仏教思想が主調とされている。この説話集からその当時の世の中の人々の考え方や生活ぶりなどを知ることができる。
16.「千載集」
作者藤原俊成(1114年~1204年)は、藤原定家の父である。彼は清新な歌風を持っている源俊頼古典主義を唱えた藤原基俊の考えを十分に取り入れ、「千載集」を編纂した。この歌集は20巻に分けられ、「幽玄」と言う世界を作り上げようとしていた。「幽玄」とは、奥深く繊細で表現の外ににじみ出る余情である。これは後世の「新古今和歌集」の歌風に対する影響がよほど大きいのである。
17.「梁塵秘抄」
12世紀後半に後白河法皇の手によって編纂されたと言われた。当時流行していた今様や催馬楽などの歌謡を集めたのである。一般庶民の日常生活に触れたもなが多く、伝統和歌の貴族趣味と異様な世界を伝えた。
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